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続き

のれんをくぐって引き戸を開けると、「いらっしゃいませ!」という元気な声に迎えられた。外の寒さが嘘のように湯気が立ち上る店内をぐるりと見渡し、カウンターに見覚えのある背中を確認する。
「伊藤、待たせたな」
「おう、久しぶり。打ち合わせが早く終わったから、先に始めてたよ」
ビールジョッキを片手に人懐っこい笑顔を見せてそう言うと、伊藤はそっと手帳を閉じて脇に寄せた。彼は春にアメリカに赴任する。おっとりとした性格の彼が同期で初の海外勤務に決まるとは、入社した当時は正直想像していなかった。
「今日、名古屋に戻るのか? 」
「ああ、9時すぎの新幹線で。どう、準備は進んでる?」
「まあ、ぼちぼちと。世話になった先輩が向こうにいるし、いろいろと教えてもらってるよ」
入社から3年後、僕は名古屋支店に異動になった。運良く大口の取引先を任されてからは忙しさが増し、同期と連絡を取ることも次第に減っていった。伊藤がアメリカに赴任するらしいと聞いたのは半年ほど前。驚きはしたが、納得の人事だった。社長賞の受賞を筆頭に、ここ数年、彼の評判は名古屋まで聞こえて来るようになっていたからだ。

「ビールジョッキが空くごとに、昔のような打ち解けた会話が増えていった。新入社員研修の頃の互いの印象や失敗談、同期の近況、そしてアメリカ赴任のこと……。
「俺はずっと海外赴任に憧れていたから、本当に羨ましいよ」
少し酔っていたのかもしれない。つい本音が出てしまい、慌ててジョッキに残ったぬるいビールを一気に飲み干した。
「ずっと羨ましいって思っていたのは、俺の方だよ。名古屋の若手にすごいヤツがいるって、広瀬は東京でも有名だったし」
伊藤は真面目で慎重すぎる性格のせいか、新人のころはどこか頼りない印象を周囲に与えていた。考えてみれば、押しの強いタイプが多い営業に配属されたこと自体が意外だった。
「でもさ、ここ1、2年の活躍ぶりは名古屋にも聞こえてきていたぞ。これまで取引できなかった会社と大きな契約まとめたりしてさ」
「広瀬のお陰でもあるよ。お前のことを聞いて、俺も頑張ろうって思ったんだ。そこからは、とにかく営業成績がいい先輩にコツを聞きまくったり、営業に同行してもらってアドバイスもらったり。先輩と同じ手帳をこっそり使い始めたりもした」
そう言って手帳を取った彼は、パラパラとページをめくり始めた。スケジュールの右側に、次回の提案内容や調べておくべき事柄、作成すべき資料がリスト化されているのが見える。
「先輩は常に手帳を持ち歩いていてさ、打ち合わせの後や移動中にやるべきことを書き出して、その場で期限を決めて手帳に書き込んでいくんだ。俺も真似してとりあえず手帳に書き込んで、決めた通りに毎日こなしていったら自然と仕事のリズムが整ってきて。そこから少し余裕が生まれて、営業がどんどん面白くなってきた」
最後のページに近づくと、文字だけでなく、業界紙の切り抜きやアメリカ市場の動向、現地に向けた新サービスのアイデアらしき絵まで描かれている。そして、「1年後にアメリカでサービス開始!」と気合いの入った文字。
「ひどい絵だな。でも、アイデアは面白い」
 それは素直な感想だった。
「そう思うか? 広瀬に言われて何か自信がついた」
照れて笑う伊藤を見て、文字にすることで自分を奮い立たせているのだと分かった。

それから30分ほど飲んだ後、店を出て駅まで並んで歩いた。
「体に気をつけて行って来いよ。連絡くれよな」
「ありがとう。じゃ、また今度」

次に会うのは何年後だろうか? そのころ、あいつの手帳にはどんな夢が記されているのだろう? そんなことを一瞬考えて、何も言わずに改札を抜けた。振り向くことなく階段を上り、僕は急いで新幹線に乗り込んだ。

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60%NoTE Diary
[ML]ブルーダイアリー・ML
1,450円+税
JANコード:4510165008293

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